「 韓国の教科書にみる 親心があふれる国の歴史の教え方 」
『週刊ダイヤモンド』 2001年8月4日号
オピニオン縦横無尽 第407回
歴史教育のなかで教科書の役割がいったいどれだけの重みを持つのかは正直に言って定かではない。私自身、学校で習った歴史は、今想い出そうとしてもあまり思い出せないからだ。私の場合、歴史の面白さは教科書以外の幾多の本によって知った。興味が湧くような編集内容の本に接すれば、子どもは歴史に魅きつけられるのだ。
では読み物としての歴史教科書はどんなふうになっているのか。韓国の中学生用の歴史教科書を東京大学講師の石渡延男氏の訳本で読んでみた。
『入門韓国の歴史』(明石書店)は韓国の子どもたちが中学2・3年で学習する国定教科書だ。したがって、歴史教育の教科書はこれのみ、他の教科書はない。上下二巻でずっしりと重く400ページを超えるが、なかなか面白い。現在日本では、各地で来年度の教科書選定が行われているが、そのなかで「文字が多すぎる」という理由で特定の教科書を選ばない理由としたとの報道があった。こういう大人たちが日本の子どもの力を殺いでいくのだ。
『韓国の歴史』の冒頭で記されている「わが国の歴史と私たちの生活」には「わが民族は、悠久の昔より満州と韓半島一帯を中心に生きてきた。また単一民族を形成して輝かしい民族文化をつくりあげてきた」というふうに強烈な民族主義が謳われている。
「単一民族」「民族」「民族文化」という言葉が繰り返し使われ、韓国の子どもたちの胸に強烈な民族意識が注ぎ込まれる。引き続いて教科書は歴史をなぜ学ぶのかを説明する。
「祖先が生きていきた姿を正しく理解」し「すべてが原因と結果である」から現在の問題を歴史を学ぶことによって把握し、「個人よりも共同体的活動、民族的努力が歴史の発展でとても大きな力になることを悟るため」「共同体と民族のために努力すべきだという歴史的使命を確認」するために学ぶのだと明確に説明している。
強烈な民主主義に加えて、強烈な国家主義も、教育の柱のひとつなのだ。
そして当然のことながら、歴史の主役は韓国である。韓国は中国、北方民族などに幾百回と侵略された歴史を持つ。そうしたことは概して「外交的に利用した」と表現され、子どもたちに侵略者に屈した惨めな祖国の姿をあからさまには見せないよう配慮している。
対照的に自国の優先性を強調する度合いは非常に強い。韓国の誇る知的、文化的側面となると特に誇りは掻き立てられ、具体例として日本への優位性が強調される。
「文化の伝播と交易」の項で、韓国は日本に人を遣わし「漢文、論語、千字文を伝えてあげ」「漢字と儒教を教えてあげ」「日本に政治思想と忠孝思想を普及させてあげた」という具合に、数多くの事々を「教えてあげた」との記述が2ページにわたって続く。
このように教え育てたはずの日本がこともあろうに文禄慶長の役で攻め入ったことを、同教科書は4ページ分を使って描写する。韓国ではイムジンウエラン壬辰倭乱と呼ばれる秀吉の出兵は、現代韓国でも生々しく語られ続けており、日本軍と戦った李舜臣は永遠に英雄である。
「倭乱」後に直面したのが北からの女真族の挑戦である。結果として朝鮮国王は女真族の前にひざまずいて臣下の礼をとらされるのだが、教科書では「ついに北伐を実施することはできなかった」との表現にとどめている。
近代についての歴史の教え方に言及する紙幅はないが、ここまでの教え方をみても、韓国という国の、未来を担っていく子どもたちに対する親心のようなものを感ずるのだ。子どもたちに誇らしさを教え、歴史の惨めさの部分からは目をそらさせてやる親心である。日本に対する一方的な記述が気になるが、国としての歴史の教え方はこういうものだと思うがどうか。